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【第19回】彼女の「嫌い」なところ:失敗したくありません

2018.07.16

【第19回】彼女の「嫌い」なところ:失敗したくありません


失敗するのが怖いです。失敗しないように、何事も準備をしています。普段はそれでいいのですが、先のことまで考えて計画をイメージしてからじゃないと進めないので、冒険ができないのが悩みです。もっとやってみたいことはあるのですが、失敗するのが嫌でできません。どうやったら失敗が怖くなくなりますか?


まず、大きな声で言いたい。


失敗することの、なにがいけないのだろう?


未来は私たちにはわからないことだらけなのだし、思いもよらない幸運も不運もある。一度失敗したからといって人生が終わるわけでも決まるわけでもない。たとえ一方の道は閉ざされても、まだ他の道はいつだって開けている。失敗したから何だっていうのだろう?


わたしにも、失敗をひどく恐れる友人がいる。

とても明るいので一見そうは見えないのだけれど、将来のことを細部まで思い描かないと前に進めない思考の癖がついている。よくいえば堅実。けれど、その思考のせいで彼女は多くの夢を諦めてきた。


「失敗したらどうするの?」「困るのはあなたよ」「そのときに助けてって言ったって、助けてあげないからね」。そんな風に親や兄弟から言われて育ってきた彼女は、今では自ら「わたしは冒険しないタイプだ」という。「先が見えないことは、したくない。安全が一番」。学生時代にはまだいくらかの夢を持っていた彼女も、そんな風に言うようになった。


彼女が話すことと言ったら、将来子どもが2人生まれたときのこと(まだ結婚してもいないのに!)や、将来相続をどうするか(まだご両親はご健在なのに!)や、老後の暮らしがどうなるか(まだ20代なのに!)と言ったことばかり。


もちろん“将来計画が大事”ということは、わたしだって理解している。

でも、わたしにはその子が、自ら不安を煽って今をないがしろにしているように感じるのだ。見えない未来のことを考える時間で、今を投げ捨てているような。


わたしは意見を求められるたび「そんなの、その時になってみないとわからなくない?」と言うし、彼女は何度も「そうだけど、わからないと不安」と言う。


明日のことさえわからないわたしとしては、「むしろ明日のことや来年のことがわかっているだなんてすごい」と思う。

わたしには、来年どこでどんな暮らしをしているか想像もつかない。結婚はしたくても相手がいないとできないし、子どもはほしくてもその時になってみないとわからない。仕事も、来月どうなっているかわからない。


でも、さほど怖がってもいない。


「なんで怖くないの?」という友人に、わたしは答える。


「だって、なんとかしていくもん」。


もし職がなくなっても、餓死する前にどこかの仕事を見つけるだろうし、もし子どもができなかったら、それ以外の楽しみを見出して生きるだろう。結婚したいと思える人がいなかったら他に夢中になれることを見つけるし、お金がなくても、理想の暮らしができなくても、きっとその時々で自分の納得いく道を見つけていくだろう。

無鉄砲なのではなく、これこそが「現実的」なんじゃないかとわたしは思う。現実を生きて行く、覚悟をしているつもりだ。


未来のわたしが自分で考え、自分で決めて、自分の幸せを見つけて行ってくれると、信じている。


もちろん、これはわたしに限った話ではない。彼女だって、いざとなればなんだってできるはずなのだ。ただ、そんな風に飛び込んだことがないから、「なんとかできた」の実績がないだけ。


彼女のことは友達として大好きだけれど、大好きだからこそ、多くの夢を諦めたことを内心悲しく思っている。あのとき違う人生を選んでいたら彼女は今頃どこかで活躍していたのではないか、と思ってしまう時もある。人の幸せはそれぞれだから、わたしには何も言えない。でも、やっぱり、まだ見ぬ不安のほうばかりに気を取られて、自分が本当にやりたいことを投げ出してしまうのは悲しい。


大丈夫なのに、あなたはたとえなにかあっても、乗り越えることができる子なのに。心配事は、頭の中にある時が一番怖くて、対峙している時はさほど怖くないのに。



こう思えるようになったのは、母の言葉が大きいかもしれない。


大学生の頃、ひきこもりになった。まる1年は、部屋にこもっていたと思う。何度か「また頑張ろう」と思い上京するのだけれど、辛くなって帰ってくる。その繰り返しの果てに、ひきこもりになった。


一年が過ぎた頃、再び東京へ戻ることにした。これで、またダメになって帰ってきたらどうしよう。不安でいっぱいだった。また泣きながら帰ってくるなんて恥ずかしい、格好悪い。だからダメにならないように、頑張らなくては……。


そう思い、「またダメになったらどうしようね」なんて茶化して笑って見せたわたしに、母はこう言った。


「またダメになったって大丈夫。もしダメになっても、あなたはまたきっと、頑張れるようになるから」。


頑張ってねでもなく、「もうあんなことにならないようにね」でもなく。「ダメになったって大丈夫」。

失敗することや挫折することは大した問題ではない。どれだけダメになっても、また頑張ればいいだけ。あれ以来、わたしの人生はぐんと楽になった。


今では、ひきこもりの時期があったとは思えないほどにわたしも元気になった。母の言葉は、本当だった。ダメになったけど、大丈夫だった。


もしかして失敗をしないように頑張るよりも、失敗しても大丈夫なように頑張ることのほうが大事なんじゃないだろうか。


母も、わたしも、「未来に起こること」はわからないし、信じられていない。けれど「未来のわたしが選ぶ道」のことだけは信じられる。

大事なのは、それだけじゃないだろうか?



さて、だいぶ話が長くなってしまったけれど、今回のお悩みに答えるとするとこんなところでしょうか。


失敗してもいいじゃん。

自分の未来は信じられなくても、未来の自分を、信じてあげて。


(ライター/さえり 写真/インディ 編集/サカイエヒタ)

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