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【第三回】彼女の「嫌い」なところ:自分以外みんなバカ

2017.03.25

【第三回】彼女の「嫌い」なところ:自分以外みんなバカ


「自分を好きでいましょう」とよく言うけれど、そんなに簡単なことじゃない。


それよりも大事なのは、まず「自分を受け止めましょう」ということのような気がする。



誰かのことを、どうしようもなく嫌に思う時はないだろうか。


「あの人、別に可愛くないよね」とか「たいしたことやってないくせに」とか。

何かを話していれば「またくだらない話してる」、真面目に頑張っていれば「なんかだせぇ」。


いい人でいられたらいいかもしれないけど、そう簡単じゃない。


自分以外の人のことをどこか見下してしまう。

誰かをどうしようもなくくだらなく思う。


そんなときが、実はわたしにもあった。



高校生の時、倫理の授業かなにかで先生がさらりとこう言った。


「劣等感の強い人は、『自分以外みんなバカ』と思うことで自分を保つんですけどね」


先生は丁寧に図まで書きながら、

「劣等感が強いと、人を下げることでしか自分の価値を保てません」と言い、

「そして大体そういうことを本人は自覚さえしていないんですよね。防衛本能でしょうか」というようなことも呑気な口調で言った。


そのとき頬杖をついて授業を聞いていたわたしは、べつに誰かのことをバカとまでは思ってなかったが「あれ? わたしのことかも」と思った。


当時16歳の思春期バリバリ女子高校生だったのでこんな思考回路は普通だったのかもしれないけれど、当時のわたしはどこか人を見下していた。


テストの点がよかった子をみれば、(たまたまじゃないの? 別にいつもいい点とってるわけじゃないし)と一瞬で考え、(じゃあ別にうらやましいことでもなんでもないよね)と言い聞かせ、(そんなに喜ぶ?)とちょっと思って、(テストの点なんかで喜んでるなんてわたしには理解できない)と“テストの点に無頓着なわたし”を演じたこともあったし、


恋に浮かれた友達がいれば、(別に彼氏かっこよくないじゃん)、(恋なんかに浮かれるなんて)(わたしはもっと知的な女子高校生でいたい)とどこか思って、“恋をしても冷静なわたし”を演じていたような気がする。


それって先生の言う「自分以外、みんなバカ」みたいなもんじゃない? わたしって人のこと下げて自分を上げてない?


……もちろんもっと酷い人はいる。

やたらと偉そうにして人を見下しているひとは、根底に高すぎる自尊心と劣等感があるのかも。


そういえばあの人やたらと威張ってるよな。

あの子もやたらと人の悪口言うよね。

みんな「劣等感」があるんじゃない?

そしてわたしも……近いかも。



「誰かを下げて自分を上げる」なんて究極にダサい。

女子高校生らしく短いスカートから足をのぞかせて、頬杖をつきながら結構ハッキリと「あたし、やばくない?」と思った。ノートに急いで「自分以外みんなバカ、は、劣等感のせい」と書いた。


妙に納得して、自分にはちょっと失望したのを覚えている。



なんでこんな話をしたか、というところにようやく戻るけれど、わたしに届いたコンプレックスのDMで多かったのは「周りの子はみんなスゴイのに、なんでわたしは……と思ってしまいます」というものだった。(だれからも「周りがバカに見えます」というものは来てない)。


けれど、まわりがやたらと「良く見える」のと、まわりがやたらと「バカに見える」のは、全然違うことのようで実は一緒なんじゃないか、とわたしは思う。


自分以外みんなバカ、と、自分以外みんなスゴイ。


結局のところ、自分を正しく捉えられていないのだ。周りばかり見て、自分自身をまっすぐに見つめられていない。


誰かと比べて、誰かをやたらと上げたり下げたりするのは、結局のところ劣等感から自分を保つための防衛反応のひとつなのだろう。



16歳、急いでノートに「自分以外みんなバカ」を書き付けたわたしは、自分で言うのもアレだけど、10年経って結構あっけらかんとした人間になった。


自分のことが結構好きだし、他人のことも結構好きだ。誰かを嫉ましく思った経験は幸いながらほとんどない。


誰かを気にしていない、という表現が最も近く、語弊を恐れずに言えば「どうでもいい」。そのくらい、人と自分は違うと思えるようになったから、誰かの幸せも素直に喜べる。


何があったわけでもないのだけれど、不思議なことにあのとき「自分は劣等感を持っている」と気付いてから、なんだかすっかり楽になってしまったのだ。


わたしは自分が思うよりできた人間ではなかった。

人と自分を比べてしまうような人間だった。

誰かを下げて自分を上げていた。


こう、事実を受け止めた。

そして「わざわざ比べるからこうなるのね」とシンプルに理解し、「人は人、自分は自分」という聞き慣れた言葉が妙に大事に思えた。


それからいろいろな人生経験も経て、


「頑張っても長澤まさみみたいにはなれないな」

「頑張っても今から東大には入れないな」

「あの子みたいにはなれないな」


と諦めて、「自分にできることはちょっとだな」ということも知った。


自分にできることを壮大に捉えすぎると、「あれもできてない」「これもできてない」と焦る。そのせいで「あれができている人」「これができている人」を嫉ましく思ったり、悔しく思ったりする(もちろんそれが良きエンジンに働く程度の感情なら悪いことではない)。


自分にできることは、そう多くないのだ。


よい意味で諦めがついてからは、できることの範囲でより良くしようと努めるようになった。


もちろんいまでも、ときに自分の調子が悪くて何もかもうまくいかないときには「あいつ……」と嫉ましく思う(滅多にないけれど)。


その気持ちを否定もしないが、同時に「あ〜自分の状態がよくないなぁ」というのも理解して、結局あいつがどうこうよりも「自分のことをがんばろう」というところに立ち戻る。





高校の授業での一コマがわたしをシンプルに「比べるってだせぇ」と思わせたのだから、学校も捨てたもんじゃないなと思う。


いま「自分以外みんなバカ」あるいは「自分以外みんなスゴイ」と思っている人に、あのときの衝撃が少しでも伝わったらいいなと思う。


自分を好きになるよりも、自分を正しく見つめる方が先だよ。



(ライター/さえり 編集/サカイエヒタ)


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