「自分のことが嫌い」という人がよくいる。


Twitterで漫画をよくアップしているいつまちゃんという方が、以前興味深いことを言っていた。



どうして自分のことが嫌いなんだろう、どうしてそんなに自己肯定感が低いのだろうと思っていたけれど、「(じつは自分を高く見積もっていて、それに見合うだけの評価がもらえていないことで)、自分が嫌い」なのかもしれないと思うと、妙に納得してしまった。


もちろん「自分が嫌い」にもいろいろな種類の人がいるので、あきらかに自己肯定感が低い人もいるだろうし、今回のようにじつは自己愛が強い人もいるだろう。


「異常に強い自己愛に見合った自分になってない事」にかんしてはいつまちゃんに言及してもらうとして、わたしが彼女たちにかける適切な言葉は、「他人の評価がすべてと思うなよ」とか、そんなところなのかもしれない。



ちょっと話はそれるけれど、「褒め言葉」は栄養ドリンクでしかないよなぁとよく思っている。


褒め言葉はありがたく受けとればいいし、疑ったり、「そんなことありません」と必要以上に謙遜したりする必要もない(あまり謙遜すると、褒め言葉を渡したほうも跳ね返されたきもちになったりもするので「ありがとうございます」と受け取るのが気持ちいいとわたしは思う)。


けれど、その褒め言葉自体が何かを証明してくれるわけでもなければ、栄光でもトロフィーでもないというのも忘れちゃいけない。


褒め言葉は、栄養ドリンクのようにありがたく受け取って、この先がんばっていくための燃料にする。そんな風に受け止めるのがいいんじゃないか、と思うのだ。


なぜそんな話をしたかというと、ときに「褒め言葉」=「自分の価値」と思う人がいるから。褒められたことで自分の価値が急に上がった気がして、グングン自己評価をあげてしまう。


それは自分が気分よくいられる“いい加減”であれば問題ないのだけれど、過剰に褒め言葉を受け止める人は、正直、批判にも弱い。


褒め言葉がなければ自分を認めてもらえていない気になって、逆に1度の批判があればそちらを信じてしまって。


それはやっぱり、人の言葉が自分を決める、と思ってしまっているからだと思う。



もしそれがコンクールの場なら、審査員の言葉はすなわち自分の作品や行為への評価であるのは間違いないのだけれど、日常生活で出会う人たちは審査員じゃない。


もちろん「悪い評価」も同じだ。「ブスだな」「つまらない」「ひどい」そんな風に言葉をかけられたとしても、その人たちは審査員じゃない。


それに、評価はあくまで過去の自分や作品や行為に向けられたものであって、自分自身や自分の未来を表すものではない(これはコンクールでも就活でも同じく)。



誰かの評価に自分を委ねてしまうと、いつも一喜一憂するはめになる。


大事なのは、自分を正しく見つめておくこと。自分が「もっと頑張れる」と思うのなら頑張ればいいし、「いつもより頑張ったからこれでいい」と思えばそれでいい。そんな風に、人と自分を切り離してほしいのだ。



コンプレックス云々より「そもそも自分が嫌い」という人たちに、そう簡単に「自分を好きになれ」とは言わないけれど、自分の中に潜むその苦しさの正体が自分で自分の評価を高くしすぎているということに気づくのも新たな一歩のように思う。


そういう人たちに「他人の評価がすべてと思うなよ」という言葉を贈りたい。


誰かに何かを勝手に決めさせちゃいけない。



(ライター/さえり 編集/サカイエヒタ)